なぜ私たちは「他人の芝生」ばかり覗いてしまうのか?

「隣の芝生は青く見える」とはよく言ったものですが、現代の日本※はもはや他人の芝生を覗き見するどころか、「うちの芝生の方が青いわよ!」とマウントを取り合う異常な品評会会場と化しています。※昔からそうなんですけどね
なぜ私たちは、息をするように他人と自分を比較し、時に見下し、時に勝手に絶望してしまうのでしょうか?
10万円のランドセルや結婚ラッシュ。同調圧力の正体
例えば、昨今の「ランドセルの異常な高騰」。
機能としてはちゃんとした日本製のランドセルなら安くても十分なはずなのに、「〇〇ちゃんは本革の10万円のやつだって」「安いメーカーだと子供がかわいそう…」と、親(そして祖父母の財布)が見栄の張り合いに巻き込まれています。さらに恐ろしいのは、大人の見栄をトレースした子供たち自身が、「お前のランドセル、安物じゃん」とマウントを取り始めることです。
これ、大人になっても内容を変えてやってきます。
20代後半〜30代にかけての「結婚・出産ラッシュ」で異常に焦る女性たち。これも本質はランドセルと同じで、「みんなが持っているライフイベント(ステータス)を私だけ持っていないのはヤバい」という強烈な同調圧力に過ぎません。

誤解しないでほしいことは、純粋に『子供が大好きで産みたい!』など【自分の意志(自分軸)】で選んでいるなら、それは素晴らしいことです。 ここで私が言いたいのは、『みんなが持ってるから』とか『周りの友達が結婚して子供を産み始めているから焦る』という【他人軸】だけで、人生の大きな選択を考えなしに下してしまうヤバさについてです。
比較の根底にあるのは「自分軸(モノサシ)」の欠如
なぜ、こんなバカバカしい見栄の張り合いや焦りが生まれるのでしょうか。それは、彼らの多くが「自分だけのモノサシ(自分軸)」を持っていないからです。
「自分がどう生きたいか」「何に幸せを感じるか」を自分のアタマで考えることを放棄しているため、世間一般の「これが正解ですよ」という広告や、周りのマジョリティ(多数派)の真似をするしかありません。結果として、「みんなと同じかどうか」でしか自分の価値を測れなくなってしまうのです。
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心理学で暴く「2つの比較」のドロドロなウラ側
心理学では、人間が他人と自分を比べる行動を「社会的比較」と呼びますが、これには大きく分けて2つのドロドロしたベクトル(上下)が存在します。あなたの周りの「面倒くさい人」も、必ずどちらかに当てはまるはずです。
見下して安心する「下方比較」(マウント人間の正体)

「あそこの旦那さん、リストラされたらしいわよ(ウチでよかった〜)」
「あの子、まだ独身なんだって(私の方がマシね)」
このように、自分より下(に見える)人を探して安心剤にする心理を「下方比較」と言います。これがマウント人間の正体です。
彼らは現状の自分に満足しておらず、常に強烈な不安を抱えています。しかし、自分の力で努力して上に登る(幸せになる)エネルギーや知性がないため、「他人を自分より下に引きずり下ろすことで、相対的に自分の位置を高く見せようとしている」だけなのです。中身がスッカラカンだからこその、哀れな防衛本能と言えます。
上を見て勝手に絶望する「上方比較」(自爆人間の正体)
「同級生がタワマン買った…私なんてダメだ」
「SNSのキラキラしたママ友を見ると落ち込む…」
逆に、自分より優れている(ように見える)人と比べて勝手に病む心理を「上方比較」と言います。向上心と呼べば聞こえはいいですが、多くの場合、これは「隣の芝生は青い」の呪いにかかった自爆行為です。
他人の「見栄え良く切り取られたパッケージ(表面)」と、自分の「泥臭い現実」を比べて勝手に敗北感を抱いている状態。
そう、他人の家の「綺麗に手入れされた外観」だけを見て、「それに比べてうちのリビングは散らかっている…」と一人で泣いているような、非常にナンセンスな状態なのです。
中身がスッカラカンだから「ガワ(外部装甲)」で戦う悲劇
上下の比較、どちらにせよ、常に他人と自分を比べてしまう人の根底にあるのは「強烈な自信のなさ」です。自分自身の内面(中身)に価値を感じられないからこそ、わかりやすい「記号」で自分を武装しないと不安で仕方ないのです。
ブランド、結婚、子供…すべてはマウントの武器?
「高級なランドセル」「ハイブランドのバッグ」「タワマン」「結婚」「子供の習い事」…。
本来、これらは人生を豊かにするための選択肢の一つに過ぎません。しかし、自分軸がない人たちにとっては、これらすべてが「私には価値がある」と証明するための外部装甲(ガワ)として使われます。
中身がスッカラカンだから、立派なガワを着て「私のほうが上よ!」と威嚇する。これがマウントの正体です。そして、そのガワを持っていない(ように見える)人を攻撃することで、無理やり自分の自尊心を保とうとしているのです。非常にバカバカしいと思いませんか?

マウントを取られてモヤモヤするのは、あなたが劣っているからではありません。スッカラカンの『ガワ』でしか勝負できない人たちと、あなたとでは、生きている次元(見ている世界)が違うからです。
意思疎通ができない人に絡まれているのと同じですから、疲れて当たり前です。
比較というバカバカしい「デスゲーム」からの抜け方
では、この中身のないマウント合戦や、同調圧力から身を守るにはどうすればいいのでしょうか?答えはシンプルです。
逃げられる環境なら、迷わず「個の自由(一人)」を選べ
もしあなたが、単なる友人関係や参加しなくてもいい女子会などで疲弊しているなら、その集団とは距離を置きましょう。
「みんなと同じ」を強要してくる集団から抜け出すと、最初は「不安」を感じるかと思います。しかし一歩外に出てみれば、そこには圧倒的な「個の自由」が待っています。
先ほど話した”他人のキレイな庭を見て一喜一憂する”くらいなら、一人で自分の好きなことを極め、自分の芝生を青々と育てる方が、100倍有意義で成功しやすい人生になります。
逃げられない環境(ママ友・職場)は「無害なモブ」に擬態せよ

しかし、「子供がいじめられるかもしれないから、ママ友の付き合いを抜けられない」「職場の人間関係だから逃げられない」という人もいるでしょう。
そんな時の最強のサバイバル術は、感情を消して「無害なモブ(背景)」に擬態することです。
まともに張り合ったり、「私はこう思う」と意見を言う必要は一切ありません。マウントを取られたら、男性との会話テクニックとしても有名な【会話の「さしすせそ」】を、AIのように淡々と繰り出しておきましょう。
この時、間違っても女優になったつもりで「えー!すごいですねっ✨」と感情を込めてはいけません。相手を調子に乗らせると、「この人は私を気持ちよくさせてくれる最高の観客だ」とロックオンされ、永遠につきまとわれてしまいます。あくまで「Siri」や「ペッパーくん」のような、感情のないトーンで返すのが鉄則です。
彼女たちが欲しいのは「優越感」です。
あなたが何の感情も持たず、ただの壁のように「さしすせそ」を繰り返せば、相手は「マウントの取りがいがないつまらない奴」と判断し、勝手に離れていきます。心の中では「しょーもな」とため息をつきつつ、表向きはアバターを着てやり過ごす。
これが、大人の賢い防衛術です。
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まとめ:他人の庭を覗くのをやめて、自分の芝生を青々と育てよう
ここまで、マウントを取る人(下方比較)と、勝手に焦る人(上方比較)のドロドロしたウラ側を見てきました。
結論として言えるのは、他人の「綺麗に手入れされた庭(ガワ)」だけを覗き込んで、「それに比べて私の庭は…」と勝手に落ち込んだり、逆に「あの家よりうちの庭の方がマシね!」と見下して安心するのは、人生の盛大な無駄遣いだということです。
中身が空っぽな人たちは、これからも一生「見栄えの良い庭造り(外部装甲の課金)」の競争というバカバカしいデスゲームを続けるでしょう。
でも、自分のアタマで考えられるあなたは、そんなゲームに参加する必要はありません。絡まれたら、AIになったつもりで感情ゼロの「さしすせそ」を唱え、サクッと自分の世界に帰りましょう。
大切なのは、「他人の庭がどうなっているか」ではなく、「自分がどんな庭(人生)なら居心地が良いか」を自分で決めることです。
他人の芝生を気にする暇があったら、自分の芝生に水をやり、自分が本当に好きな花を植える。それこそが、情報とマウントが溢れる現代を生き抜く、一番賢くて自由な生き方なのです。
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